割烹 八千代 出浦 克佳 代表 KATSUYOSHI IDEURA
中学卒業後パティスリーを目指し、専門学校に入学。そこでの先生の薦めに従い、蕎麦割烹である『巴町砂場 自由が丘店』に入店。そこで和食・日本料理の世界に魅了される。その後、和食・割烹料理を中心に修行を重ね、26歳の時に独立。生まれ育った青葉区に『割烹 八千代』をかまえる。
中学卒業後パティスリーを目指し、専門学校に入学。そこでの先生の薦めに従い、蕎麦割烹である『巴町砂場 自由が丘店』に入店。そこで和食・日本料理の世界に魅了される。その後、和食・割烹料理を中心に修行を重ね、26歳の時に独立。生まれ育った青葉区に『割烹 八千代』をかまえる。
幼い頃より母から「手に職をつけろ」と言われたのが頭に残っていました。中学3年生の頃です。ケーキが好きだったのでケーキ屋さんになろうと思ったんです。いわゆるパティスリーですね。専門学校に通ったのですが、パティシエになるにはフランス語の習得が不可欠だということを知りまして、あえなく断念しました(苦笑)。ですが料理の道に携わりたいという気持ちは変わりがありませんでしたので、卒業後、当時の先生の薦めに従って蕎麦の『巴町砂場 自由が丘店』に入店しました。
蕎麦割烹のお店だったんですが、そこで、和の食、日本料理の世界に魅せられたんです。
その後、和食、割烹料理を中心に修行を重ね、独立したのが私が26歳の時です。生まれ育った地元の青葉区に自分のお店を持つに至りました。
毎日市場に仕入れに行くのですが、その日その日によって使用する素材は変わります。ですからいわゆる定番メニューといったものはないんです。全ては海と大地の恵み次第ということになりますね。地元で採れた野菜と市場で仕入れた旬の素材を使い、素材の味を活かした料理をお出ししています。四季折々の旬の味を楽しんでいただきたいですね。
いまは冷凍食品を電子レンジでチンしたり、ハウス栽培の野菜が多いので、その素材の旬というものが感じにくくなっているかと思います。もちろん、便利なモノですからそれを頭ごなしに否定する気はありませんが、せめて外で料理を食べられる時には、その素材の旬を感じていただければと思っています。日本料理の、和の伝統を守っていくということに少しでも貢献出来ればと考えいています。
道場六三郎さんのお弟子さんにあたる方の元で修行を積んでいた時期があったのですが、その時期に、その方の勧めもあって『ふぐ』の免許を取りました。『ふぐ』の免許は都道府県条例になりますので、例えば神奈川県で免許をとっていても、東京都で営業するとなるとまた別にとらなければならないんですね。
当時の合格率は20分の1といったところでした。実技試験の内容も都道府県で多少違うようです。
神奈川県の場合、調理理論やふぐに関する筆記問題を経た後、実際にふぐを捌くことになります。25分の制限時間の中でふぐを捌いて、内蔵に名札を付け、食べられる部分と食べれない部分とを分けて、なおかつ刺身を15枚以上ひかなければなりません。神奈川県の場合、腎臓を6個に分けないといけないんですが、他では2つに分ければいいとか、微妙に違うものなんですね。
素材から扱うということを旨としてますので、あの時免許をとっといて正解だったなといまにして思います。
以前はしゃぶしゃぶ屋さんだったお店を2006年に改装したんです。設計図も何もない、ぶっつけ本番でね(笑)。大工だった従兄弟に頼んで、「カウンターはこんな感じ」「ここもうちょっと動かせない?」とか無理を言って作ってもらったんです。電気、ガス、水道、それに内装。考えてみたら全て友達の手によるものです。
お店が出来てから1年が経過した頃、この店を作ってくれた従兄弟が亡くなってしまったんです。工事現場での作業中の不慮の事故でした…ですから、このお店は彼の残した遺作でもあるんです。しっかりこのお店を守っていかなければと思っています。
学校を卒業してからすぐに料理の世界に飛び込みましたから、お店で聞くサラリーマンの方のお話はすごく新鮮ですね。ためになっています。割烹料理といいますと少しかしこまってというイメージがありますが、そうではなく、皆さんが酒でも酌み交わしながら、楽しく話をして、お互いが何かを学べるような場所であれたらなと思っています。
美味しい料理と一緒に私のトークも楽しんでいただけると嬉しいですね。
※上記記事は2010.9に取材したものです。
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